札幌でCMO代行と組織コーチングをしている、上村啓太です。
来月46歳になり、株式会社ALLDAYSとして法人化します。
今日は、僕がどうやって「今の生き方」にたどり着いたのか、 子どもの頃から、正直に書こうと思います。
長いです。そして、かなり個人的な話です。
でも僕は、生き方で勝負したいと思っています。
経歴やテクニックじゃなく、 「どう生きてきたか」で選ばれる人間でありたい。
だから、全部書きます。
小学5年生、計算せずに全力で走った
最初の記憶は、小学5年生のマラソン大会です。
2キロくらいの距離だったと思います。
普通、こういうとき、人は計算しますよね。 最初は少しゆっくり、後半で追い上げよう、と。
でも僕は、最初から最後まで、全力で走りました。
計算なんて、しなかった。 ただ、本気で走りきった。
結果、2位になりました。
このとき、子どもながらに、何かを掴んだ気がします。
「全力でやりきれば、ちゃんと結果につながる」
そして、6年生のとき。
先生が、一人ひとりに 「その人を表す言葉」をくれたことがありました。
僕がもらった言葉は、
「気力」
でした。
それを見たとき、「そうなんだ」と思いました。
そして同じ年、「ハリキリマン1位」にも選ばれた。
「まさに、これだ」と思いました。
嬉しかった。
僕は、これが得意なんだ。 全力でやりきること。気力で前に進むこと。
それが、僕なんだ。
たぶん、ここが、 「ちゃんと自分の人生を生きよう」と思った 最初の瞬間でした。
でも、その奥に、寂しさもあった
少し時間を戻します。
小学2年生のとき、母が仕事に復帰しました。
それまで家に帰れば母がいたのに、 ある日を境に、家には誰もいなくなった。
僕は、鍵っ子になったんです。
嫌でした。泣いて、嫌がりました。
「行かないでほしい」 「一緒にいてほしい」
自分なりに、一生懸命、その想いを伝えました。
でも、届かなかった。
母は働きに出て、僕は一人で帰りを待つ。
そのときの記憶は、今でも「寂しさ」として、 心の奥に残っています。
大人になった今は、わかります。
母は、家族のために働きに出たんです。
あれは、愛情でした。 僕たちの生活を支えるための、母の精一杯。
誰も悪くない。
ただ、8歳の僕には、寂しかった。
その両方が、本当なんです。
当時の自分に声をかけられるなら、こう言いたい。
「よく頑張ったね」と。
そして、面白いことに気づきました。
8歳の僕は、自分の声を、届けられなかった。
でも小6の僕は、「気力」という言葉で、 初めて、誰かに自分を受け取ってもらえた。
届かなかった声が、初めて、届いた瞬間。
だから、あんなに嬉しかったのかもしれません。
中学・高校、そして「道が見えた」瞬間
正直に言うと、中学・高校では、 これといった努力はしていませんでした。
力を溜めていた時期、だったのかもしれません。
転機は、高校3年生のときに来ました。
進路に迷っていたとき、ある道が見えたんです。
「こういう道があるのか」と。
その瞬間、スイッチが入りました。
小5のマラソンと同じです。
道が見えたら、あとは全力で走るだけ。
やりきりました。
そして、勉強が「面白いもの」に変わった。
社会、経済、マーケティング。 学べば学ぶほど、世界の仕組みが見えてくる。
このとき、僕の中に芯ができました。
「自分に正直に、ありのままで生きたい」
大学4年間と、FPという武器
大学では、4年間、人生の可能性を探って、 何でもやりました。
バイトも、勉強も。
その中で、ファイナンシャルプランナーの勉強をして、 資格も取りました。
そして思ったんです。
「この資格を活かして、仕事をしてみたい」
銀行で働いてみたい、と。
でも同時に、こうも思いました。
「僕みたいな人間が、銀行で通用するのか」
王道を歩いてきたわけじゃない。 発想や逆転で、チャレンジしてきたタイプ。
でも、だからこそ、逆に面白いんじゃないか。
そう思って、挑戦しました。
23歳、僕は自分に負けた
やっとの想いで、ある地方銀行に入社できました。
釧路支店でした。
親も、周りも、本当に喜んでくれた。
念願の場所でした。
正直に言うと、当時の僕は、生意気でした。
日々、自分の世界ばかり語って、 自分の考えを、ぶつけてばかりいた。
先輩も、上司も、 たぶん、うんざりしていたと思います。
そんな僕でしたが——
1年も、持ちませんでした。
辞める決断を、したんです。
一番の本音は、これでした。
「自分に、負けた」
やりきれなかった。 全力で走りきれなかった。
「気力」が自分の代名詞だったはずなのに、 初めて、最後まで走れなかった。
しかも、やっと掴んだ場所で。 親も周りも、喜んでくれた場所で。
悔しくて、泣きました。
引っ越しも、自分でやりました。
レンタカーを借りて、 荷物を積んで、一人で運転して帰った。
冬でした。 窓の外は、雪。
ワイパーの音だけが響く車の中で、 「俺には、何もない」と思っていました。
念願だったはずの場所から、 たった一人で、雪道を帰る。
あれは、自分への涙でした。
でも、泣いてくれる人がいた
ところが、辞めるとき。
一緒に働いていた先輩や、パートの方の中に、 僕のために、泣いてくれた人がいたんです。
驚きました。
生意気で、自分の世界ばかり語っていた僕のために、 泣いてくれる人がいるなんて、 思ってもみなかった。
「自分のために泣いてくれる人なんて、 いるはずがない」
そう思い込んでいたから。
このことの意味が、わかったのは、ずっと後でした。
8歳の僕は、「自分の声は届かない」と思っていた。
でも、23歳の僕は、 何も届けていないと思っていたのに、 実は、届いていた。
涙という、形で。
自分に負けたと思った、その場所で。
僕の存在は、ちゃんと、誰かに届いていたんです。
この発見が、その後の僕を、 少しだけ、勇気づけてくれた気がします。
あなたにも、 「自分に負けた」と思った夜は、ありませんか。
そして、もしかしたら気づいていないだけで、 あなたの想いも、誰かに届いているのかもしれません。
まっすぐ進む道には、価値がついてくる
「もう二度と、自分に負けたくない」
その想いを抱えて、次に進みました。
人材派遣の会社では、全国でも突出した 訪問量で、動き続けました。
あるとき、僕の働き方が 「創業の精神を思い出させる」ということで、 社内報に載ったことがありました。
そのとき、確信したんです。
「この姿勢で、間違いない」
自分が嘘偽りなく、まっすぐ進む道には、 ちゃんと、価値がついてくる。
周りを傷つけたり、 「苦手だな」と思われることも、 たぶん、多くあったと思います。
でも、それでも、突き進みました。
自分の踊りを、変えなかった。
リクルートで、心の底から震えた
その後、リクルートに移りました。
ここで、僕は人生を変える経験をします。
お客様の価値を高めることで、 自分たちも一緒に成長できる。
そういう仕事が、あるんだと知ったんです。
「こんな素晴らしい仕事があるのか」
心の底から、震えたのを覚えています。
何かの価値を、押し付けるんじゃない。
その会社が持っている価値や想いから、 可能性を探って、 ビジネスそのものを成長に結びつけていく。
そして、一緒に成長していく。
その面白さに、僕は酔いしれました。
月間MVPを何度も取り、 全国1200人の中で、特別賞をいただきました。
でも、賞よりも何よりも、 「一緒に成長する」という仕事の本質に 出会えたことが、僕の宝物になりました。
これが、今のCMO代行・組織コーチングの、 原型だったんだと思います。
あなたは、心の底から震えるような仕事に、 出会えていますか。
同志に誘われ、No.2として奔走した
やがて僕は、事業会社そのものに、 興味を持つようになりました。
外から支援するだけじゃなく、 中に入って、事業を作りたい。
そう思っていた頃、 後に「同志」と呼んでいただいた方に、 誘っていただきました。
そこから、No.2として、奔走しました。
面白かった。
でも—— 正直に言うと、最初の僕は、 今の僕とは、まるで違いました。
実は、僕は「変えてもらった側」だった
当時の僕は、営業の結果しか、見ていませんでした。
数字が、全て。 それ以外には、興味がなかった。
組織とか、人間力とか、 正直、どうでもいいと思っていた。
そんな僕に、同志と呼んでいただいた方は、 何度も、こう言い続けてくれました。
「会社が大きくなっていくためにも、 一人ひとりのスタッフが感じる "面白い"という感覚や、発想力や、行動力を、 最大限まで高めていきたいんだ」
正直、当時の僕には、 意味がよくわかりませんでした。
そして、反発しました。
「数字が全てだろう」 「そんなの、綺麗事だ」 「会社を大きくするために入ったのに、 なんでそんなことを」
そんなの、嫌だよ。
そう思っていました。
1年か、2年か。 今思えば、ずいぶん長く、抵抗していました。
転機は、ある日の休憩室でした。
何気ない会話の中で、その方が、こう言ったんです。
「今までやってきたことを、なくす必要はない。 新しく、付け加えていく感じだよ」
その瞬間、何かが、すっと腑に落ちました。
僕はずっと、「何かを失う」と思っていた。
組織なんてやったら、 営業で結果を出してきた自分を、 手放すことになる、と。
でも、違った。
失うんじゃない。 付け加えるだけだった。
「そうか」と思って、やってみようと思えたんです。
それからは、早かった。
現場を見て、その人の可能性を見て、 こだわりや、言葉を、聞いていく。
すると、「これは、面白いことになる」 という感覚が、湧いてくる。
気づいたら、夢中になっていました。
数字しか見ていなかった僕が、 人の可能性に、夢中になっていたんです。
今になって、思います。
僕は、「変えてもらった側」だったんだ、と。
すぐには変われなかった。 何度言われても、反発した。
でも、諦めずに言葉を投げ続けてくれた人がいて、 ふとした瞬間に、扉が開いた。
人は、すぐには変わらない。 でも、変わる瞬間は、必ず来る。
それを、僕は身をもって、知っています。
だから今、僕は待てるんです。
すぐに変わらない経営者の隣で。 反発するスタッフの前で。
いつか扉が開く瞬間を、信じて。
事業と組織、その両輪に夢中になった
その方の言葉で目を開かれてから、 僕は事業を成長させるために、本当に何でもやりました。
新卒採用も、WEB対応も、SNSも。
わからないことばかりでした。
でも、事業の成長に必要で、 会社の可能性を広げるためなら、 全部、やった。
そして、あるとき気づくんです。
事業だけでは、立ちゆかなくなる瞬間があると。
組織を、強くしなければいけない。
かつて、あれほど反発していた「組織」の話に、 今度は、自分が本気で向き合っていました。
まっすぐに、スタッフ一人ひとりに向き合って、 何度も、対話と挑戦を重ねて、 組織を高めていきました。
これが—— 本当に、面白かったんです。
事業と、組織。
その両輪を回す面白さに、僕は夢中になりました。
あなたの会社は今、 事業と組織、どちらかだけになっていませんか。
「自分の踊りを、持つ」ということ
最近、ある本の一節が、ずっと心に残っています。
真木悠介さんの『気流の鳴る音』。
そこに「持つ」ということについて、 こんな趣旨のことが書かれていました。
人が「持つ」べきものは、二つある。
一つは、自分の歩く道を持つこと。 もう一つは、自分の踊りを持つこと。
自分の踊りとは、自分の型であり、 自分の力の姿勢であり、その人の「生」そのもの。
それぞれの人が、その一生をかけて 発展させていく、自分の型。
これを読んだとき、ハッとしました。
僕の「踊り」は、もう、決まっていたんだ、と。
小5のマラソンで全力で走った、あの走り方。 先生が「気力」と名づけてくれた、あの姿勢。
計算しない。最初から最後まで、まっすぐ全力。
それが、僕の「踊り」であり「型」だった。
23歳で一度つまずいても、 その踊りを、捨てなかった。
だから、人材派遣でも、リクルートでも、 事業会社でも、同じ走り方で、 ちゃんと、価値を生んでこられた。
自分の踊りを、持つ。
それが、自分に正直に生きる、ということなんだと思います。
自分の心の声に、ちゃんと耳を傾ける
9000回以上、人と向き合ってきて、 ひとつの答えにたどり着きました。
「自分に正直に生きている人」とは、 どういう人なのか。
それは、
自分の心の声に、ちゃんと耳を傾けている人
だと思うんです。
自分が本当はどうしたいのか。 何を大切にしたいのか。 何にワクワクするのか。
その声を、途中で打ち消さず、ごまかさず、 ちゃんと聞いてあげる。
そして、自分の踊りを持って、生きる。
8歳の僕は、自分の声を聞いてもらえなかった。
23歳の僕は、自分の声を聞ききれずに、負けた。 でも、その存在は、誰かに届いていた。
だからこそ、今、僕は思うんです。
人が、自分の心の声にちゃんと耳を傾けられるように、 その隣に立ちたい。
その人が、自分の踊りを持って、 自分の人生の主役になる瞬間を、見たい。
だから、この仕事をしている
僕の仕事の本音は、すごくシンプルです。
みんなが人生に希望を持って、 未来にワクワクしている時。
人は、輝きます。
その笑顔が、見たい。
それだけなんです。
その人の目の色が変わる瞬間。 「自分を生きていい」と気づく瞬間。
その瞬間に立ち会うために、 僕はこの仕事をしています。
8歳の僕がしてほしかったことを、 今、人にしているのかもしれません。
「あなたの声を、ちゃんと聞いているよ」と。
なぜ、46歳の今なのか
「46歳で独立、法人化なんてリスクだ」
そう言われることもあります。
でも僕は、あまりリスクだと思っていません。
外に出ても、これまでの会社とも関わっていける。 外で学んで、成長して、また還元していける。
独立は、僕にとって 「崖から飛び降りる」感覚じゃない。
「扉を開けて、外に出る」感覚です。
止まっている方が、よっぽど怖い。
止めなければ、勝手に広がっていく。
それが、僕の生き方そのものです。
なぜ、僕じゃなきゃいけないのか
コンサルタントも、コーチも、山ほどいます。
その中で、なぜ僕なのか。
正直に言います。
事業と組織、その両方を、 実業の現場で結果を出してきた人は、 あまり多くないと思っています。
マーケティングで数字を作りながら、 最大190名の組織を動かしてきた。
新卒採用も、WEBも、SNSも、 事業の可能性を広げるために、全部やってきた。
事業だけでもない。組織だけでもない。
その両輪を、泥臭い現場で回してきた。
そこに、9000回のコーチングで培った 「人の可能性を見抜く感性」が乗っている。
戦略の論理と、人の感性。 事業の数字と、組織の体温。
この両方を、一人の人間として持っていること。
それが、僕にしかできないことです。
戦略に、体温を。
僕のキャッチコピーは「戦略に、体温を。」です。
戦略は、必要です。数字も、必要です。
でも、それだけでは人は動かない。
人が動くのは、 「自分の声が、ちゃんと聞かれた」と 感じられた時です。
8歳の僕が、ほしかったもの。
それを、僕は経営者に、 その組織のスタッフに、届けたい。
最後に
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
正直、ここまで自分をさらけ出すのは、 怖さもありました。
でも、僕は生き方で勝負したい。
だから、出すことにしました。
小5の全力疾走も、 8歳の寂しさも、 23歳の悔し涙も、 そして、泣いてくれた人がいたことも。
全部が、今の僕につながっています。
人生は、コントロールできない。
でも、自分の心の声に耳を傾けることはできる。 自分の踊りを、持つことはできる。
そして、自分の踊りを持って生きる人は、 自分の人生の主役になれる。
僕は、二度と自分に負けたくない。
そして、あなたにも、 自分に負けてほしくない。
もしあなたが、 「自分の会社、もっとできるはずなのに」 「スタッフの想いを、もっと活かしたいのに」
そう感じているなら。
一度、話しませんか。
あなたの、そしてあなたの組織の、 まだ言葉になっていない「心の声」に、 一緒に、耳を傾けにいきます。
その先に、きっと、 未来にワクワクする笑顔があると、信じています。
上村啓太|ALLDAYS(2026年7月法人化) 札幌から、北海道・全国の経営者と組織の変化を支援しています。
戦略に、体温を。 すべての日に、兆しがある。

